もう少しで江戸時代生まれの近親者に会えた件
昭和3年(1928年)生まれの父親がある時、私にこんな話をしてくれたことがある。
父が小学生の頃、母方の家に遊びに行ったときのこと、祖母(本稿を書いている私の曾祖母)が昔話をしてくれたそうな。
話の内容は、
幕末の頃に長岡藩に新政府軍がやってきて戦争になった。
戦いが始まる前に娘時代の曾祖母は風呂敷に包んだ荷物を抱えて疎開したそうな。
※疎開 敵襲・火災などによる損害を少なくするため、集中している人や物を分散すること。
当時のことなので当然徒歩である。
早足で歩いていると髪から簪(かんざし)が落ちそうになったのを片手で支えていたところ、風呂敷包みの荷物が肩で跳ねて、たいそう歩きにくかった、という話である。
曾祖母の戦争とは(旧暦)慶応4年5月2日(グレゴリオ暦)1868年6月21日に起きた戊辰戦争の北越戦争(ほくえつせんそう)と言われるもので、当時の長岡藩(現・新潟県長岡市)周辺地域で行われた一連の戦闘のことである。
長岡藩は、大政奉還以後も徳川家を支持し、長岡藩主・牧野忠訓と家老上席、軍事総督・河井継之助のもと、欧米の武器商人からアームストロング砲、ガトリング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃(軍用カービン)などの最新兵器を購入していた。
長岡藩は新政府軍に中立を申し出だが却下され戦争となったのである。
新政府軍は先の最新兵器を備えていた長岡藩とは大激戦になったそうである。
この時の家老河井継之助を主人公にした司馬遼太郎の歴史小説『峠』というのがあるので、興味のある方は一読をおすすめする。
さて、この話を聞いた当時小学生の父の反応だが、今風に言えば、
江戸時代かよ? 侍かよ? チョンマゲかよ? ピンとこねーよ
と、いたって最もな感想だったそうである。
そりゃそうだ。父が生まれる60年前の話なのだ。
1958年生まれの自分に当てはめれば、
日清戦争(にっしんせんそう 1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日)が生まれる64年前のことなのでおおむねこれに当たる。
確かに説明されてもピンと来ないかもしれない。
ちなみに太平洋戦争が終わって今年で75年になるそうだ。
おそらく戦争を語られてもピンとこない世代は大勢いるはずだ。
話を曾祖母に戻すと、彼女は90過ぎまで長生きしたが、私が生まれる直前に亡くなった。
自分がもう少し早く生まれるか、彼女が長生きをすると、私は江戸時代生まれの身内と出会えたかもしれないのである。
もし出会えていたら友人に自慢ができたのに、つくづく惜しいと思っている。