アニメで長い会話の途中に入る「空」とか「川」の意味
ここで述べている「空」や「川」は会話のシーンの途中に挿入される場合である。
シーンの頭や最後に入る場合は句読点的意味合いや時間経過などで使われることがあるのでここでは触れない。
さて、アニメの中で長い会話の間にふいに「空」や「川」などがインサートされることがある。
これがなかなかの曲者なのだ。
雲の形や川の流れや水に隠喩や比喩潜ませてある場合がある。
または何かの伏線や舞台となる土地の情景描写かもしれない。
考えのある演出をする方はそれが伝わるように作りあげているので、視聴者が鑑賞するのに精神的苦痛や負担は少ない。
時間経過に使われる場合があり、これもすんなりと観ていられる。
ところがどこをどう読み込んでも何も意味が込められていない「空」や「川」のカットがある。
時間経過でもなければ比喩でも隠喩でもない。
こんな場合は視聴者として精神的な苦痛や負担を感じるのだ。
視聴者はぼんやりと映像を見ているようで、その脳は無意識のうちに映像の連なりを解釈しようとしているものなのだ。
ところが何の意味もないことが分かると(または何の意味もないと思われると)、とにかく退屈なのである。
こういうカットが頻出する場合、視聴者は寝るか視聴を止めるかだろう。
こういうカットが生まれる理由が、会話がシーンとして持たないからである。
間に何かを挟まなければ全く動きのない、ただ口を動かして話している絵が続くからだ。
ぶっちゃけて言えば「間がもたない」ので別なカットを挿入するのである。
逆に言うと演出する側が「間をもたせる」力量がないとか、工夫することを諦めているからだとも言える。
変化の乏しい長い会話のシーンは実は演出の見せ所である。
おそらく最も力量が試されるシーンである。
従って大いに工夫が必要だ。
ただし、こんな事を書いている自分も工夫なしに「空」や「川」を入れているかもしれない。
恐ろしいことである。
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