仕事で携わったアニメたち 1982年
1982年
ゲームセンターあらし
ファミコンブームのほんのちょっと前に放送された作品。
このころはまだファミコンが無いので、主人公はゲームセンターの筐体に100円など突っ込んでゲームをしていたわけだが、金持ちだよなあ。
怪物くん・デーモンの剣(劇場)
うう……内容を思い出せない……。
ドラえもん・のび太の大魔境(劇場)
この作品の撮影助手をしていてダブラシのT・Bでハンドルの回転を間違え、ついそのまましらばっくれてしまった。
翌日にラッシュがあがるまで後悔のあまり苦悶の一夜を過ごしたものである。
それ以来、間違った時はその場で申告するようになった。
で、あがってきたラッシュは全く問題が見つからず心の中で胸をなで下ろしたものだ。
くわばらくわばら。
★忍者ハットリくん・ニンニン忍法絵日記(劇場)
初めて劇場作品に名前を載せてもらい、それは嬉しかったのだが何故か内容は全然覚えていない。
■(スタジオぎゃろっぷ)★はタイトルに名前あり
東京アニメーションフィルムを退社後、十ヶ月ほどバイト生活。
造園業・工事現場のガードマンなど体力優先の仕事をやる。
演出の道を探ってはみたものの全く見つからずくさっていたら、東京アニメからスタジオぎゃろっぷに移籍していた先輩が声をかけてくれ、その縁で入社する。
ああ、先輩はありがたい。
東京アニメで撮影の基本編を学んだとすれば、ぎゃろっぷでは応用編を学んだという感じ。
ここではタックやぴえろの作品を多く撮影していた。
色々なタイプの作品に関わることが出来て後の肥やしになったと思う。
若い会社で仲間のほとんどが年下だった。
この会社で初めて後輩が出来る。
野球の強い会社で面接の時に社長に聞かれたのは撮影のキャリアではなく、「野球出来る?」だった。
後で後輩に聞いたら、そいつは入社試験の時にグローブを持参して先輩とキャッチボールを行い、肩の良さを買われて合格したそうな。
ちなみにその後輩も私も野球は下手である。
後に撮影に使うガラス板を1時間で三枚割ってしまったのもよい思い出。
3年強ほど在籍し、演出の道を探して退社する。
うる星やつら
ギャロップに入社して最初に撮影した話数は藤波竜之介が友引高校に転向してくる話だった。
うる星は作画や演出が楽しんで作っている感じがして撮影してて楽しかったです。
毎回、演出や作画の個性が際立つ作りになっていたなあ。