俺たちは『しらけ世代』と呼ばれた。
Wikipediaによると、しらけ世代は、1960年代に活性化した日本の学生運動が鎮火したのちの、政治的に無関心な世代。
1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した。
また、真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。
と書いてある。
自分らより上の世代は『団塊世代』とか『全共闘世代』などと言っていたような気がする。
調べると『全共闘世代』も10年ほどの年齢差があり組織内部での世代格差があったそうだがここでは語らない。
とにかく上の世代は学生運動に参加した者が多く、その是非はともかく熱い世代だったのである。
その熱さの次に来たのが我々『しらけ世代』だ。
高校の時に教師にこう言われたことがある、
「お前らは基本的にいい子で手がかからないが、つまらない」
当時の私はそれのどこが悪いのかと心の中で反発したが、今ならその教師の気持ちが分かるような気がする。
10年前は悪い子たちが多く手がかかって、若かった教師の彼はそれなりに充実した日々をおくり面白かったのだろう。
ともあれ我々はその「つまらない」というレッテルを貼られた世代である。
確かにむやみやたらと何かに熱くなったりするようなことは少なかったと思う。
と、ここまで書いてきて自分が中学・高校の頃はやたらと熱血青春もののドラマが多かったなあと思いだした。
『俺は男だ』が1971年2月21日から1972年2月13日まで、毎週日曜日20:00から20:56の時間帯で全43話が放映された。
それ以後は『飛び出せ!青春』『おこれ!男だ』などが放送されている。
これらの作品は再放送で何度も繰り返しお茶の間に流れていたと思う。
今思うとあの「熱血」は「しらけ」の裏返しだったのかもしれないなあと考える。
売れる物語は「現実にはないけど」「あったらいいな」が基本になっているのであながち間違っていないと思う。
たとえば「異世界に転生して無双する」とか「自分の周りに可愛い女子が群がり寄ってくる」などが売れている物語なように。
だからあの時代は「最近は白けているけど」「もう少し熱いといいな」ということでああいったドラマが作られたのかもしれない。
まあ話を戻すと我々は「しらけ世代」で熱くならない若者だとレッテルを貼られていたのだが「熱くならない」のには理由があった。
それは「熱く」なるための理由が提示されなかったからだ。
「運動中には水を飲むな」「とりあえず校舎の周りを10周走ってこい」「教師や先輩の言う事には従え」に何も正当な理由を見いだせなかったからである。
もちろん先輩や教師がこれを行うにはこういう理由があると理論的に説明してくれれば、我々だって熱くなってそれを行っただろう。
だが誰もそんなことはしてくれない。
したがって自分で熱くなれる理由を探すことになる。
まあ回り道するけどね。
ちなみに俺たち「しらけ世代」の後世代は「新人類」でさらにその後は「宇宙人」と呼ばれたな。
当時の大人たちの困惑ぶりが目に浮かぶようである。