北朝鮮渡航記 第5話 巨大オープンセットと世界最大の廃墟
さて、今回の渡航の目的だったスタジオ訪問が終わり、あとは帰国するばかりである。
残りの日々、我々はあちらこちらを観光した。
訪問が終わったならすぐ帰れという声が聞こえてきそうだが、朝鮮民航は週に二便しかないので、帰りはもう少し後なのだ。
視察団の中には初対面同士な者も多く最初は固い感じだったのが、滞在中にうち解け、次第に仲良くなっていった。
相変わらず黒いベンツ一台と日本車三台に分乗し、我々は和気あいあいと平壌市内やその周辺を回った。
その中で感心したのが、映画の撮影所。
市内からしばらく行った所にあり、敷地は果てしなく広大だ。
この国はアレな事情で国外(そと)での撮影が難しい、だから敷地内にでかいオープンセットを作っているとのこと。
どんなセットがあるかというと。
戦前の浅草。同じく戦前の満州の市街地とソウルの学校。東ヨーロッパの田舎町などなど。
ただ生活感は無いので何だか不気味なのだ。
その雰囲気をしいてあげるなら下の画像のようなものだ。
誰もいない町って怖いよな。
セットには昭和のローカル線のような駅もあって、長いレールが敷地の向こうまで伸びていた。
ちゃんと本物の線路につながっていて、このレールの上をちゃんと汽車が走るそうだ。
電車ではなく、汽車だぞ。
偉大なる親子の息子さんの方が映画好きなので、この国の映画界はかなり優遇されているみたいだ。
それから、いつも我々一行の車列の先頭を走る黒いベンツなのだが、これはエライ人専用で、団長格である編集のKさんと在日の方々のリーダーだったMさんしかのせてもらえない。
私はどうしても乗ってみたいので、おそるおそるKさんに頼んでみた。
すると、あっさり「いいよ」との返事。
拍子抜けしてお目当てのベンツに乗り込んでみたら、この車にはクーラーがついていなかった。
平壌の夏はそこそこ暑い。窓を開けてもぬるい風が入ってくるだけ。
どおりで「いいよ」と言ってくれたわけだ。
このベンツ、私には分からなかったのだが、日本じゃまず見かけないものすごく古い型で、何度も修理しながら使っているそうだ。
観光で印象にとくに残ったのが柳京ホテル。
北朝鮮が1988年のソウルオリンピックに対抗して開催した第13回世界青年学生祭典(1989年)に間に合わせるべく、1987年に起工されたホテルだったが、
高さ330.02mの105階建てとあまりにも巨大な施設のため、祭典には間に合わないことが明らかになり、1992年に建設は完全に中断され、15年以上にわたり放置されることとなった。
長らく放置されたことで単独の建築物としては世界最大の廃墟であると言われたそうな。
遠くからビル越しに見ただけだが、上の画像のような巨大建築がのしかかるように突っ立っているのが何だか不気味だったな。
このホテルは後に建設が再開されガラスがはめ込まれ綺麗になったと聞いている。
今回この記事を書くために調べてみたら、再びの工事中断をはさんで2019年に公式ロゴが建物前面に取り付けられるなど、開業のめどが立っている模様だそうな。
とまあ残りの日々を観光で消化して、いよいよ最終日を迎えたのだった。
その間、朝食と夕食のローテーションは全く変わらず我々は日々のノルマをこなすように栄養補給をしたのだった。
つづく。