大正野球娘。時代における陸上競技(短距離走)の現代との違いについて
はたして東京オリンピックは開催されるのか、現時点で政府はやる気満々ですね。
さて、オリンピックの華と言えば陸上競技ですが、私が監督したTVアニメーションの大正野球娘。でも100m走の練習風景が登場します。
時代考証をしてみるとなかなか面白いことが分かりました。
ちなみに大正野球娘。の時代は1925年(大正14年)です。
それでは大正時代の陸上競技と現代との違いを説明します。
スパイクシューズはあるがスターティングブロックは無い。
初めてスターティングブロックが使用されたのは1929年(昭和4年)にアメリカのオハイオ州大学の競技会。
そして1948年(昭和23年) のロンドンオリンピックにて、スターティングブロックが公式採用されました。
ではそれまではどうしていたのかと言うと、園芸用のスコップのようなものでトラックの地面に穴を掘り、そこに足(つま先)を入れてスタートしていました。
その様子は国立国会図書館デジタルコレクションの、
『最新女子陸上競技法(人見絹枝 大正15年)』に以下の画像のように書かれています。
ちなみに人見絹枝はアムステルダムオリンピック(1928年)の陸上競技女子800mで2位に入り、日本人女性初のオリンピックメダリストとなりました。
また映像としては映画『炎のランナー(1981年)』で1924年パリオリンピックの陸上競技の様子を描いており、参考になるでしょう。
またドイツ映画の『オリンピア(Olympia 1938年)』別名『民族の祭典』でもベルリンオリンピック(1936年)の陸上競技の様子が描かれています。
当時のストップウオッチは1/5秒刻み。従って10秒3/5のように書かれる場合があった(現代の10.6に相当する)。
1912年のストックホルムオリンピックの男子100m予選において、ドナルド・リッピンコット(アメリカ)が記録した10秒6が国際陸連が初めて公認した世界記録なのですが、これが塗り替えられたのは1921年にチャールズ・パドックによって。
記録は10.4で一挙に0.2秒も更新しましたが時計が1/5秒刻みだったため、こんなことになりました。
誰かが10.5で走っても1/5秒刻みの時計では10.6としか計測されないのです。
1/10刻みで公認記録が計測されるようになったのは1929年頃からだそうです。
「位置について。よーい」はまだ使われていない。
「位置について。よーい」が使われるようになったのは日本陸上競技連盟は1927年(昭和2年)がスタート合図を一般公募してから。
1928年3月4日の東京日日新聞で新しいスタートの合図が発表されました。
それまでは全国各地ばらばらで、英語の「On your marks get set」も使われていたそうです。
大正野球娘。の劇中でも「On your marks get set」を採用しました。
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