太平洋戦争後のこぼれ話 進駐軍がやって来た
私の父親の世代は太平洋戦争で従軍し、母親の世代は民間にあって空襲された経験を持っている方が多い。
1945年8月15日に終戦を迎え、やがて進駐軍と呼ばれた米軍部隊がやって来た。
先日までは鬼畜米英と呼ぶよう強制され、こんどはウェルカムしなさいと指導され、当時の現場はさぞかし混乱しただろうことは想像がつく。
●バイト先の先輩に聞いたとある村の出来事である。
近々進駐軍がやってくるらしいということで対策を練るため村のお偉いさんたちが右往左往していたところ、一台の米軍のジープがやって来た。

運転していたのはサングラスをかけた日本人で米軍の軍服を着ていた。
「私ハ○○デス。村長サンハイマスカ」
聞くと彼は日系の二世で、今度進駐してくる米軍部隊指揮官の副官をしており、事務的なところを村役場の担当者と詰めておきたいという。
村では進駐軍に粗相があってはいけないと、日系二世の副官を酒や食事でもてなし、帰りには米俵まで与えて送り返したという。
当時は食糧難なので米は貴重品だ。
日系二世は日本の友情に感謝し、お土産を満載したジープを運転してご機嫌で帰って行ったという。
ところがその後進駐軍は一向にやって来ない。
調べてみるとこの村に進駐軍が駐留する予定などなく、指揮官の副官に日系二世などいないことが分かった。
おそらく頭の切れるやつが友人の米兵から軍服とジープを借りて行った詐欺だったのである。
●母から聞いた話である。
ある時、北海道の富良野の農道を荷物を担いだおばあさんがてくてくと歩いていたところ、米軍のジープが隣に停まった。
見ると二人の若い米兵が手招きしている。
英語は分からないが「乗れ、乗れ」と言っているのは明らかだった。
これはありがたいと乗せてもらい出発したが、どうしてもお礼を言いたいとおばあさんは考えた。
確か孫が何か言っていたなあと、英語の「ありがとう」を頭の中で探った。
少しして「ああ、これだ」という単語を思い出し、おばあさんは米兵に笑顔でこう言ったそうである。
「モンキー。モンキー」
おばあさんがその場でジープを降ろされたのは言うまでもない。


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