どっちが先? 将棋や武道の段位はいつできた?
私の趣味のひとつに将棋がある。
キャリアは数年で腕前は某町道場で1級なので、まあ大したことはない。いつか初段になれたらいいなあと努力もしないで夢見ているどこにでもいるジジイの一人だ。
そんなジジイがふと考えた。
将棋の段位っていつ出来たの?
よし、調べてみよう。

まず段位について調べてみた。
ざくっとWikipediaの記事を引用すると、
段級位制(だんきゅういせい)は、テーブルゲーム・武道・スポーツ・書道・珠算などで技量の度合いを表すための等級制度のうち、段位を上位とし、級位を下位に置くものをいう。
級位は数字の多い方から少ない方(10級 → 1級)へ昇級するのに対して、段位は数字の少ない方から多い方(初段 → 十段)へ昇段していく仕組みになっている。
英語では「初段 = first degree black belt (一段黒帯)」のように意訳する場合と、「初段 = shodan」とそのまま表記する場合がある。
とある。
まあ目新しい事実はなく大体の人はなんとなく分かっていることだろう。
ここで仮説を立ててみた。
おそらく段級位はそれを認定する組織が誕生してから初めて登場した制度だろう。
確か江戸時代には将棋や囲碁の家元制度があったのでこの辺りから始まった可能性が高い。
ただし武道の段位とどっちが先かというと、これは皆目検討がつかない。
では調べてみよう。
Wikipediaにはこうあった。
まず江戸時代の名人碁所、本因坊道策が囲碁において導入し、それが将棋でも採用され、明治時代になって、武道や芸道などに広がっていった。
おお、囲碁が段位のはじまりだったのか。
●本因坊 道策(ほんいんぼう どうさく、正保2年(1645年) – 元禄15年3月26日(1702年4月22日))は江戸時代の囲碁棋士。四世本因坊、名人碁所。 名人を九段、名人上手間を八段(準名人)、上手を七段とし、以下二段差を1子とする段位制を確立した。この段位制は1924年に日本棋院が設立されるまで使われていた。
なるほど。段位制度は江戸時代の17世紀末から18世紀の初めくらいに作られたと言うことだ。
つまり出来てから350年くらいと言うことだな。
それにしても最初にこういうことを思いつくのは素晴らしい。
この道策という人なかなかの切れ者で史上最強の棋士として、この人の名を挙げる人も多いそうだ。
では将棋の方の段位はと言うと、
享保2年(1717年)に、『将棊図彙考鑑』に段位の記載がされてからである。
それ以前は免状に、名人に対しての手合割を記載していたそうな。
将棋の手合割(てあいわり)とは、将棋におけるハンデキャップのことを言う。
平手とか角落ちとか二枚落ちとかいうあれだ。
ちなみに私は将棋道場デビューの日に席主と六枚落ちで戦い完敗したトラウマを持っている。

そして明治期に武道が段位制度を取り入れたわけだ。
武道界で最初に導入したのは、嘉納治五郎の講道館柔道だそうである。
その後大日本武徳会が、警視庁で導入されていた級位制を段位制と組み合わせて段級位制とし、柔道・剣道・弓道に導入した。
武道はそれまでは段位の代わりに切紙、目録、免許皆伝などというランクだったのだ。
面白い例では、
明治6年(1873年)4月から剣術家の榊原鍵吉らが主宰した撃剣興行は、相撲興行に倣い大関、関脇、小結、前頭などの番付を設けた、とあり、工夫のほどがうかがえる。
他にはコンピューターゲームの『ぷよぷよ』には、かつて全日本ぷよ協会という団体が存在し、大会等の成績に応じて段級位を発行していたそうな。
色々な段位があるのだな。
さて話を将棋に戻そう。
先に話した通り私の棋力は1級である。
1級と聞けばまだまだ半人前な感じがするが、初段と聞けば本気でそれをやっている人っぽい感じがする。
私はなんとか初段になりたいのだが、日々楽してなれる方法を考えている。



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