思えば遠くに来たもんだ アニメ業界就職40周年
ふと気がつくとアニメ業界に就職して40年経っていた。
撮影会社である東京アニメーションフィルムに入社したのが40年前の連休明けだった。
ずいぶんと長いことこの業界にお世話になっているのだな。
自分が成りたかったのは演出(監督)であって撮影ではなかったのだが、ある人の教えに従って自分の望む業種に少しでも近い所へ就職したのだった。
少しでも自分の夢に近い職を選べ
まず入社試験があり、簡単な数学などのテストを受けた。
後で先輩に聞いた話ではこのテストは落とすための理由としてのテストで、重要なのは面接の方だったという。
落とすための理由としてのテストとは何かと言うと、落ちた人が「ああ、テストの成績が悪かったのだな」と納得してもらうためだそうな。
私は運よく合格して面接に臨んだ。
面接官は大地丙太郎氏だった。
彼は後に『おじゃるまる』や『こどものおもちゃ』で監督を努め、私も監督になるのだが、この時は知る由もない。
まあ不思議な縁である。
「ほう、君は新聞配達奨学生だったのか。根性はあるんだな」
学業には挫折して専門学校は卒業していないが新聞配達奨学生だったのは事実なのでもちろん大きな声で「はい」と返事をしておいた。
この「はい」は根性ではなく新聞配達奨学生だったことに対する返事である。
嘘は言っていない。
かくして私は合格し、アニメ業界に第一歩を踏み出したのだ。
その先、色々な挫折があったがよく続いたものだと思う。
できればあと10年、50周年までは頑張ってみたいものだ。