昭和の修学旅行 小学校編(2回行った修学旅行)
私の故郷の北海道では小学校の修学旅行の定番の行き先は札幌・小樽だった(札幌の小学生がどこに行くのかは知らない)。
通常は六年生の5月とか6月くらいに出かける、小学生にとっては一度きりのイベントである。
ところが私はこの修学旅行に2回行っている。
留年したわけではない。
5年・6年と2年連続で行かせてもらっているのだ。
下の画像は日本三大がっかりのひとつと言われている「札幌時計台」
なぜそんな事になったのかというと、5年の冬に転向したからである。
5年の時は日本で一番北の都市である稚内の小学校に通っており、そこからはるばる札幌まで約400kmの道のりを列車で向かった。
5年で修学旅行に行けた理由は、当時は1968年の北海道開拓100周年にあたり、札幌で北海道博覧会が行われたのだ。
100年に一度というイベントなのでせっかくだから5年生も連れて行ってやるべか、という事になったというわけだ。
そのかわり6年時の修学旅行は無しだ、となった。
初めての修学旅行で舞い上がり、テンションマックスで訪れた北海道博覧会では北海道初のジェットコースーターが設置されており、私は大いに楽しんだ。
あらゆる行程できゃあきゃあと騒いでいたような気がする。
どこに行っても楽しかったな。
下の画像は道立自然公園野幌森林公園に建つ北海道百年記念塔(もちろん高さは100m)
さて2回目の修学旅行時は最果ての礼文島の小学校に通っていた。
ここでは普通に6年生の時に修学旅行が行われ、もちろん私は参加した。
2度も行かせてくれた両親に感謝したい。
下の地図にマークしてある島が礼文島で、上部にちらりと見えているのは樺太である。
本州のラジオ番組よりソビエト連邦(現・ロシア)のラジオ番組のほうが感度が良い土地である。
よくこんな遠いところから出かけたものである。今思い出しても感心するなあ。
小さな連絡船にゆられ、長距離列車に乗り換えて、札幌にたどり着くまでにかなり体力を消耗するぞ。
コースは前回とほぼ同じ。
札幌と小樽を訪れた。
定番だからね。
ちなみに私が所属していた船泊小学校の6年生は男子18人、女子10人の総勢28人しかいなかったので、観光バスの都合で島内北部の小学校の6年生たちと合同で旅をすることになった。
詳しい数は覚えていないが、ざっくり数校あったような気がする。
一番小さな小学校では6年生が男女ともに二人ずつの計四人なんて小学校があったな。
旅行自体は楽しかったが、さすがに2回目なので前回ほどテンションが上がることもなく淡々と日程をこなしていたような気がする。
慣れって怖いよね。
札幌ではデパートで2時間ほどの自由行動がもらえた。
普通なら両親や親戚への土産物などを買うのだろうが、級友たちは違った。
ひたすら自分のためのおもちゃやプラモデル、漫画などを買うのである。
何しろ礼文島の港町には雑貨屋ていどの店しかなく、ホコリを被ったような古臭いおもちゃしか売っていないのである。
漫画は注文すれば取り寄せてもらえるが、棚にはほとんど置いていない。
だからここぞとばかりに小遣いをはたいておもちゃや漫画を買うのである。
今にして思うと引率の先生方もデパート内で自分用の買い物をしていたのではないかな。
買い物でテンションがあがり家まで待ちきれない級友は、列車の中でプラモデルを組み立てて、床を走らせたりするのだった。
自分も漫画を買って列車内で読んでいたような気がする。
ところで親への土産を買った記憶がないが、覚えていないだけだと思いたい。
多分、小樽で漬物を買ったのではないかと思うが、それは中学の時だったかもしれない。