昭和アニメ話 スマホなし土地勘なしの聖地巡礼
1979か80年で私が21・2くらいに北海道から家族旅行で本州旅行にでかけた時の話である。
上野(当時は東北・北海道方面への玄関口として機能していた)に着いて宿に荷物を置いてから、夕飯を一緒に食べるかわりに自由行動の時間をくれと親父に交渉した。
このくらいの年齢のときによくある親がうざく感じていたわけではなく、どうしても行きたい場所があったからだ。
行きたい場所とは『東映動画』である。
旅行に来る前年に偶然録画した『太陽の王子ホルスの大冒険』にはまった。
下の映像が『太陽の王子ホルスの大冒険』である。
とても素晴らしい出来のアニメーション映画で、ホルスを観終わったその瞬間から、今まで見ていたアニメはまがい物でこれこそ本物だと当時の自分は思った。
生まれてはじめてスタッフに興味を持ち、その名前などを調べまくった。
監督の高畑勲をはじめとするホルスを作ったスタッフは私にとって神であった。
その神々の住いである東映動画を一度は見ておきたかったのである。
さて出かけるかと腰を上げた時に弟が「兄さん、どこ行くの?」と声をかけてきた。
「東映動画だ」
「一緒に着いていっていい?」
「ああ、いいぞ」
というわけで二人で東映動画に出かけることになった。
二人で上野駅に向かい、山手線に乗り込む。
「東映動画の場所は知ってるの?」
「もちろんだ」
嘘である。
何も調べていなかった。
しかし私には確信があった。
当時の私の認識(妄想)では東映は世界一のアニメ映画会社であり都内の一等地に本社を構えているはずだった。
従って山手線で一周すれば、あの特徴的な三角形の看板にどこかで出会えるはずなのである。
完全に田舎者の発想である。
「俺は外側を見張るからお前は内側を見ていろ。いいか、瞬きするなよ」
「分かった」
一周した一時間後。
「あったか?」
「なかった」
あたりまえである。
ここで私は作戦を変えた。
公衆電話を見つけて備え付けの電話帳から東映動画を探し出す。
「と、と、とう、東映……。あった!」
電話番号と一緒に 練 大泉なんちゃら と書かれていた。
「分かった! 練馬だ」
間違いであった。
一度駅を出て書店に向かい、地図を探し練馬の位置を確認した。
西武池袋線に練馬駅があった。
再び駅に戻り上野駅から池袋駅へと向かい、西武池袋線に乗り換えた。
椎名町あたりは住宅地のど真ん中に線路が敷かれているような雰囲気で、北海道の鉄道に慣れている自分から見ると、手を伸ばせば建物に手が届くのではないかと思うくらい狭いところを電車が疾走するのであった。
練馬にたどり着き橋上駅舎から周囲の景色を眺め、偉大なる三角マークを探したが、見当たらない。
「ないねー」
弟は半ば諦めムードである。
遠く北海道からここまでやって来て断念するのはとても惜しい。
その時私の脳裏にあることがひらめいた。
先ほど調べた電話帳には電話番号と一緒に 練 大泉なんちゃら と書かれていた。
この大泉なんちゃらとは路線図にあった大泉学園駅ではないか?
私達は一縷の望みを賭けて池袋線を西へと向かった。
大泉学園駅にたどり着きなんとなく北口に降りると、駅前に町内案内図の看板があった。
そこには東映撮影所と書かれた場所があり、おそらくここに東映動画もあるのではないかということになり、先を急いだ。
これはアタリだった。
十分後、我々は神々の住い「東映動画」の前に立っていたのだった。
苦労してたどり着いただけに感動もひとしおであった。
あいにく休日で東映動画は閉まっていたが、守衛のおじさんが教えてくれた売店へと向かった。
売店には東映動画で作られたアニメーションの設定書やらポスターやら絵葉書やらが並べられており、田舎者にとっては宝物庫にいるようなものだった。
私はそこでホルスの設定書と台本を買った。
今でもこれらは私の宝物である。
それにしても昔の俺は計画性とか準備がない奴だったのだなあ。