残念無念列伝 桓公(かんこう在位期間 前685年 – 前643年)
桓公(かんこう在位期間 前685年 – 前643年)は春秋時代の斉の第16代君主。
春秋五覇の筆頭に晋の文公(重耳)と並び数えられる人物である。
春秋時代をあつかった小説ではよく登場する有名人である。
管鮑の交わりで有名な鮑叔の活躍により公子糾との公位継承争いに勝利し、管仲を宰相にした。
鮑叔は管仲をよく助けてともに政治にあり、斉を強大な国へと創りあげた。
そして東周に代わり、紀元前651年に葵丘の会盟を執り行い覇者となった。
実力および諸侯の信を得て天下にその名を知らしめた君主を覇者と呼び、徳を以て天下を治める者を「王者(周王室を指す)」と呼んだ。
ここに斉は黄金時代を迎えた。
ところが紀元前645年、国政の要であった管仲が亡くなると坂道を転落するように衰退してゆく。
桓公が国政を顧みなくなったからだ。
できる臣下の目が届かなくなったことで緊張の糸が解けたのだろうか?
彼は管仲が亡くなる時に絶対に引き立ててはならないと言った易牙・豎刁・公子開方の佞臣を起用し、国政は乱れた。
桓公が病床に就くと、桓公は三貴によって病室に閉じ込められて紀元前643年10月8日に亡くなった。
食料を与えられず餓死したといわれてる。
ひどい死に方である。
後の公子達の後継者争いの中でその遺体は放置され続けた。
翌紀元前642年8月に太子昭が孝公として位につくまで67日の間、納棺・埋葬される事もなかった。
そのため扉からウジが這い出してきたという。