自衛隊前史 警察予備隊から保安隊へ 警務隊、初めてのガサ入れ
※この文章における専門用語はワリと適当です。興味のある方はご自分でお調べください。
※この話は父親が盛っている可能性があるので、その辺は考慮をお願いしたい。
警察予備隊とは1950年(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置された組織で、1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組されて発展的解消をした。
父の若い頃は警務隊に所属していた。
警務隊とは簡単に言えば自衛隊内の警察官といった役割である。
警務隊の編成はWikipediaによれば、
1952年(昭和27年)7月に第400保安大隊が松戸駐屯地で編成完結。
同年8月に第400保安大隊(松戸駐屯地)が第400警務大隊と改称。
とあり、ここまではまだ警察予備隊の時代である。
そして先に書いたように1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組され、翌1953年(昭和28年)6月15日に司法警察職務の任務を付与された。
司法警察職務とは日本の刑事訴訟法に規定された司法警察の捜査活動を行う職員の資格で、犯罪を捜査し、被疑者を逮捕し、検察庁の検察官へ送致するなど、公判で事案の真相を解明する。
やっと隊の警察官としての資格が与えられたわけだ。
それまでは隊の事件は警察が捜査していたのかもしれない。
さて、父の話によればやっと警察と同じ権利を得た警務隊の面々は張り切って仕事をしたそうである。
そのかいあって父たちはタレコミにより耳寄りな情報を手に入れた。
隊内に出入りしている商人が購買の物資を横流ししていると言うのである。
父たち若手の隊員たちは気合を入れて内偵・情報収集を続け、ついには横流しの事実をつかみ犯人のアタリをつけた。
父はこれらの情報を持ちガサ入れの許可をもらうために直属の上司の部屋に押しかけたそうである。
しかし上司は二の足を踏んだ。
当時は終戦から10年も経っておらず市民たちの軍事アレルギーは相当なものだった。
なんせ不当に権力を握った旧軍がやりたい放題やって国が滅亡寸前まで行ったのだから無理もなかろう。
そんなご時世に保安隊が大っぴらに行動するのはいかがなものかと上司は考えたらしい。
しかし父はこれは悪を正す正義の行為であり、法的にも正しく何の問題もないことを澄んだ瞳(多分)で順々と解いた。
結果、上司は心を動かされ出動を決定した。
こうして警務隊は大きく前へ踏み出すことになったのだった。
前日、綿密に打ち合わせをし、翌日の朝に決行である。
早朝、容疑者が宿泊している宿屋の正面にトラックで乗りつけ出口を封鎖。
もちろん裏口もトラックでやって来た別働隊が抑え、猫の小一匹逃さない包囲網を作り上げ、父たち警務隊は宿内に突入した。
隊員たちが戸の前に立って部屋の出入りを抑え、泊り客たちにその場を動かないように指示をしてゆく。
結果、見事に横流しの物資を抑え容疑者を捕らえたのだった。
ちなみに横流しの物資とは軍手や靴下だったそうである。
当時、靴下はまだ貴重品だったらしい。
穴の空いた靴下は糸で縫って使い続けていた時代なのだ。
初めての大仕事を見事に成功させた警務隊は、大いなる充実感を抱きながら意気揚々とトラックに乗り込んだ。
晴れやかな気分で帰隊した父たちを待っていたのは雷だった。
父と上司は警務隊本部に呼び出され、こってりと油を絞られた。
上司が上部に根回しするのを忘れて、許可をもらっていなかったからだそうだ。
この辺は今でもそんなに変わっていないのかな。
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自衛隊前史 警務隊初めての大事件