自衛隊前史 警察予備隊こぼれ話 米国に負けたと思った話
先に以前に書いた記事をお読みいただくと良いかと思われます。
私の父は15歳で月月火水木金金という年中無休の訓練で知られる帝国海軍に志願した。
しかし時すでに遅く、乗る船は無く、父は海岸に塹壕を掘ったり特攻兵器の溶接をしたりして過ごし、結局は一発も米国と直接交戦することなく17歳で終戦を迎えた。
その後、港湾労働者となり、なぜか22歳で警察予備隊の一期生に志願したのだった。
入隊し厳しい訓練が続けられていたある日、全員集合の命令が下った。
隊員たちは屋外運動場にどどーっと駆け出し、ささっと整列した。
この整列の仕方はおそらく以前の記事に書いた米国式だったと思われる。
整列が終わると校長の米国人大佐が通訳を伴って正面の壇上に進んだ。
校長は一通り隊員たちを見渡すと眉をしかめてこう言った。
「今日は君たちに悲しい知らせがある」
なんだなんだと隊員たちに不安半分・興味半分のさざ波が広がっていった。
「なぜならこれから一週間、君たちの顔を見ることが出来ないからだ」
いったい校長は何を言いたいのだろうか?
隊員たちに広がる波は大きく困惑に変わっていた。
その様子を見渡した校長は破顔すると茶目っ気たっぷりに言ったそうである。
「明日からたっぷり休暇を楽しんでくれたまえ」
校長がウィンクしてから一拍の間があって、隊員たちの間から歓声が砕ける波のように上がった。
まさかの長期休暇に隊員たちは全員大喜びだったそうだ。
この時の校長の振る舞いを父は、
「なんだが負けた気がした」
と笑いながら私に語ってくれたのだった。